2006年バスケットボールのワールドカップが日本で開催されました。
開催国として出場したバスケットボール日本代表には双子の大学生がいました。
竹内譲次、公輔兄弟です。
日本では初めて生まれたと言っていい、走れるビックマン竹内兄弟。
その竹内兄弟の兄、竹内公輔選手について見てみたいと思います。
プロフィール
竹内公輔(たけうち こうすけ)は、日本のプロバスケットボール選手であり、宇都宮ブレックスに所属しています。彼は1985年1月29日に大阪府吹田市で生まれ、身長205cmのパワーフォワード・センターとしてプレーしています。日本のバスケットボール界で欠かせない存在として、その名前は広く知られています。
名前 | 竹内公輔 |
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所属チーム | 宇都宮ブレックス #10 PF/C |
出身校 | 洛南高校ー慶應義塾大 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1985年1月29日 |
身長(㎝) | 205㎝ |
竹内公輔選手の学生時代の経歴
バスケットボールを始めたきっかけ
竹内公輔は、吹田市立東佐井寺小学校出身です。中学校に入学すると、バスケットボール部に入部しましたが、すぐに卓球部に編入しました。
卓球では吹田市選抜に選ばれるほどの実力を示しましたが、中学2年の秋頃に漫画『SLAM DUNK』の影響を受け、再びバスケットボール部に入部しました。
本格的にバスケットボールを始めたのはこの14歳の時だったのです。
洛南高校時代
中学2年からバスケを本格的に始めてまだ経験が1年程度しかなかったにも関わらず、2000年に弟の譲次とともにスカウトされ、京都のバスケの超強豪洛南高等学校へ進学しました。
洛南高校では、弟の譲次とツインタワーとして活躍し、2002年には高校3年時にウィンターカップ2002で初優勝を果たし、同年には高知国体高校男子の部でも優勝しました。
さらに、2002年にはジュニア日本代表にも選出され、国際舞台でも活躍しました。
慶應大学時代
高校卒業後竹内公輔選手は慶應義塾大学に進学しました。彼はチームを関東1部昇格に導き、インカレでの45年ぶりの優勝にも貢献しました。竹内選手は個人でも多くの栄誉を手にし、リバウンド王や敢闘賞を受賞しました。
プロ選手としての経歴
アイシンシーホース
竹内公輔のプロ選手としてのキャリアは、アイシンシーホース(現シーホース三河)で始まりました。
2007年にJBLへのプロ契約を果たし、即座にリーグのトップ選手の仲間入りを果たしました。彼はリーグの新人王やMVPに輝くなど、その実力を証明しました。
その後、アルバルク東京や広島ドラゴンフライズなどでプレーし、チームの重要な一員として活躍しました。2016年、宇都宮ブレックスに移籍し、ブレックスの一員となります。
宇都宮ブレックス
現在は宇都宮ブレックスでプレーしており、強靭なディフェンスとリバウンドそして献身的なプレーでチームを支えています。
2016年に宇都宮ブレックスに加入してから、竹内公輔選手は2度のBリーグ優勝を果たしています。
2016‐17シーズン、2021‐22シーズンそれぞれに役割は違いましたが、2度の優勝に竹内公輔選手は貢献しました。
プレースタイル
竹内公輔は、宇都宮ブレックスのパワーフォワードとしてチームのインサイドを支える重要な存在です。
彼は自ら1on1を仕掛けることは少ないものの、ポジショニングに優れており、ガードとのコンビネーションやインサイド陣との連携から決定機を作り出します。
彼のプレースタイルは、個人のスコアよりもチームの勝利に重きを置いており、その経験と洞察力によってチームに多大な貢献をしています。
宇都宮ブレックスにおいても、竹内公輔の役割は大きく変わることはありません。彼はチームのインサイドでの組織的なプレーを忠実に遂行し、必要とされるときにはチームを救うべくその力を発揮します。
竹内選手の存在は、チームにとって不可欠であり、彼のプレーは常にチームのために行われます。
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