小川敦也~バスケエリートの勝利への渇望~①

Bリーグ

宇都宮ブレックスの小川敦也選手。

2023-24年シーズンに特別指定で加入して、2024-25シーズンではチームにアクセントを与える活躍をしています。

小川敦也選手は持ち味の鋭いドライブを武器にブレックスのロスターにまでなりました。

そんな小川敦也選手バスケット人生のまとめの第1弾です。

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小川敦也選手がバスケ小川敦也を始めたきっかけ。

 宇都宮ブレックスの小川敦也選手がバスケットボールを始めたきっかけは、父・小川忠晴さんの影響です。 忠晴さんは、いすゞ自動車ギガキャッツでリーグとオールジャパンで優勝を5回経験し、日本代表にも選ばれた実績を持つ選手でした。 その影響を受け、小川選手は幼少期からバスケットボールに親しみ、父からのアドバイスを受けながら技術を磨いていきました。 

小川選手は、2歳の頃からバスケットボールを始めたとされており、幼少期から父と共に練習を重ねてきました。 その経験が、彼の現在のプレースタイルやバスケットボールに対する姿勢に大きな影響を与えています。 

鳥屋野中学から洛南高校への進学

鳥屋野中学校在学中、小川選手はU15ナショナル育成キャンプにも招集されるなど、その才能は早くから評価されていました。 また、2017年の全国中学校バスケットボール大会(全中)では、鳥屋野中学校の主力選手として活躍し、チームを全国準優勝に導きました。 

小川選手は鳥屋野中学から洛南高校へ進学します。京都の強豪・洛南高校に進学を決めた理由は、「日本一」を目指すチームの姿勢に強く惹かれたからです。 中学時代、新潟市立鳥屋野中学校で全国準優勝を経験した小川選手は、個人技に頼らず、チーム全体で戦うスタイルを求めていました。 洛南高校は、留学生に頼らず日本人選手だけで日本一を目指すチームであり、その姿勢に共感し、進学を決意したと語っています。  

また、洛南高校の指導方針は、身長やポジションに関係なく、選手全員にオールラウンドな技術を身につけさせることを重視しています。 小川選手もこの環境で、ドライブからポストプレーまで幅広いスキルを習得し、オールラウンダーとして成長しました。 

このように、チームプレーを重視し、個々の技術を磨く環境を求めて洛南高校に進学した小川選手の選択は、彼の成長に大きく寄与しました。

洛南高校での活躍

小川敦也選手の高校時代での大会での成績

高校1年生(2018年度)

インターハイ(全国高等学校総合体育大会):不出場

国体(国民体育大会):不出場

ウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会):不出場

この年、洛南高校は全国大会への出場はありませんでした。 

高校2年生(2019年度)

インターハイ:不出場

国体:準優勝

ウインターカップ:3回戦敗退 

この年から主力選手として出場し、チームの中心選手として活躍。 国体では準優勝に貢献しました。 

高校3年生(2020年度)

インターハイ:新型コロナウイルスの影響で中止

国体:中止

ウインターカップ:ベスト4

高校最後の年となる2020年度は、インターハイと国体が中止となる中、ウインターカップに全てを懸けて臨みました。チームは京都府のライバル東山高校に敗れ、ベスト4で大会を終えました。 

ウインターカップ2020での活躍とケガ

このウインターカップにおいて、洛南高校のエースである小川敦也選手は、準々決勝の正智深谷戦で左足首を捻挫し、靭帯を損傷するというアクシデントに見舞われました。 この負傷により、翌日の準決勝・東山高校戦への出場は叶わず、チームは87対67で敗れ、ベスト4で大会を終えました。 

小川選手は試合後、車椅子に乗った状態で取材に応じ、悔しさを滲ませながら次のように語っています。 

エースとして大舞台に立てなくて、チームに迷惑をかけてしまった。昨日みんなが決勝まで連れて行って優勝すると言ってくれていた、最後まで戦ってくれたチームメートに感謝です」  

また準決勝後には「頼りないエースで申し訳なかったですが、チームメイトには『本当にありがとう』と言いたいです」と述べ、チームメートへの感謝の気持ちを表しました。

この大会を通じて、小川選手は「洛南は個人ではなくチームで戦うので、チームの大切さを知り、みんなが一つの方向を向く大切さを学びました」と語り、チームプレーの重要性を再認識したことを明かしています。

 


この大会を通じて、小川選手は「洛南は個人ではなくチームで戦うので、チームの大切さを知り、みんなが一つの方向を向く大切さを学びました」と語り、チームプレーの重要性を再認識したことを明かしています。  

小川選手へチームメイトや監督からのコメント

2020年のウインターカップ準々決勝で小川敦也選手が負傷し、準決勝を欠場したことについて、洛南高校の監督やチームメイトは次のように語っています。 

淺野ケニー選手(当時3年生):

「小川に今まで頼っていた分、みんなで勝とうと言って準決勝に臨みました。決勝に進出して、『小川をベスト5にする』という思いでした」  

吉田裕司コーチ:

「うちは小川というタレントを起爆剤にして勝負するチーム。小川が点を取るだけでなく、小川がいることでチームとして点を取るチャンスがたくさん生まれてきます」  

小川選手の欠場はチームにとって大きな痛手でしたが、チームメイトたちは彼のために一丸となって戦いました。 吉田コーチも、小川選手の存在がチーム全体に与える影響の大きさを認めています。 

この経験を通じて、小川選手は「洛南は個人ではなくチームで戦うので、チームの大切さを知り、みんなが一つの方向を向く大切さを学びました」と語り、チームプレーの重要性を再認識したことを明かしています。

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