情熱は行動に繋がります。
行動が積み重なると経歴になります。人の経歴からその人の情熱を読み取って、その人となりを探っていく「コメディ&ケイジャー.COM」です。
今回は宇都宮ブレックスの荒谷裕秀選手を紹介します。
中学高校と無名ながら大学のエースにまでなっていき、宇都宮ブレックスに加入します。
その過程を追っていきたいと思います。
荒谷選手のプロフィール
プロフィール
名前 | 荒谷裕秀 (あらや ひろひで) |
---|---|
所属チーム | 宇都宮ブレックス #11 |
出身校 | 白鴎大学 |
出身地 | 宮城県 |
生年月日 | 1998年12月5日 |
身長(㎝) | 189㎝ |
荒谷選手は仙台で東北高校に進学、ウィンターカップで活躍
仙台で生まれ高校まで仙台で過ごす
荒谷裕秀選手は宮城県仙台市で生まれました。
周りの友達の影響で、小学生の低学年の時にバスケを始めます。
小学校、中学校と所属したチームはあまり強くなかったようです。
荒谷選手もインタビューこう答えています。
その後、地元の東北高校に進学してから少しずつ状況が変わっていきます。
荒谷選手は東北高校で東北地方の大会やウィンターカップ出場を経験し、2015年のウィンターカップではベスト16まで勝ち進むことができました。
荒谷裕秀選手の在籍時代の東北高校の主要大会の成績 | ||||
年度 | 大会 | 結果 | ||
2014年 | インターハイ | 宮城県大会 | ベスト16 | |
ウィンターカップ | 宮城県大会 | ベスト8 | ||
2015年 | インターハイ | 宮城県大会 | 準優勝 | |
ウィンターカップ | 全国大会 | ベスト16 | ||
2016年 | インターハイ | 宮城県大会 | ベスト4 | |
ウィンターカップ | 宮城県大会 | ベスト4 |
荒谷選手はそれまではただ続けていっているといったようなバスケットボールでしたが、
その辺りから、バスケに対する気持ちも変わっていったようです。その頃の気持ちについて、インタビューでも答えています。
小学生の時に震災
仙台市出身の荒谷選手が小学6年生のとき、東日本大震災で被災しています。
荒谷選手の実家は大きな被害は免れましたが、チームメイトや友人の家は大きな被害を受けていました。
そんな中で希望になったのがバスケット選手の志村雄彦さん。
荒谷選手は実家も近いことがあり、志村さんと親交があった。
当時BJリーグの仙台89ersに所属していた志村さんは、チームが被災したことにより琉球ゴールデンキングスにレンタル移籍となっていた。
琉球で一生懸命に頑張る志村さんの姿を見て、自分も頑張ろうと言う気持ちになったそうです。
志村雄彦
- 元バスケットボール選手。現仙台89ersの社長。
- 現役時代当時bjリーグの仙台89ersに所属していた時期に東北大震災を被災。
- チームが活動休止になり、救済措置として琉球ゴールデンキングスにレンタル移籍。
- 琉球では89の背番号をつけ、仙台の思いを背負ってプレーしていた。
荒谷選手、白鴎大学に進学しインカレで活躍
大学進学を考え始めたときにBリーグが始まる。
東北高校でウィンターカップでベスト16に進出した頃から、少しずつ大学から声がかかるようになってきます。
高校3年生になり荒谷選手が大学進学を考えた頃、Bリーグが開幕することが決まります。
Bリーグの開幕は漠然とバスケっと選手としての将来を考えていた、新谷選手が具体的にプロになりたいと考えるきっかけになります。
荒谷選手はいくつか声をかけてもらった大学のうち、白鴎大学を進学先に選びます。
荒谷選手が入学する前年、白鴎大学はインカレで全国3位になっていました。
当時の白鴎大学は特定のエースが居なく、チームで戦うバスケをするチームでした。
荒谷選手は無名から成長しようとしている自分と、当時の白鴎大学のバスケに似たものを感じたのかもしれません。
と当時の気持ちを語っていました。
群雄割拠の大学バスケに飛び込んでいく。
白鴎大学は関東一部リーグに所属するチームです。
荒谷選手はこのリーグで関東の強豪チームと戦って行きます。
当時の関東一部のリーグは現在のBリーガーもたくさんいるリーグです。
白鴎大学での1年目2017年の荒谷選手は、プレイタイムも少ないながら獲得できて、チームもインカレ4位の結果でした。
しかし、2年目のシーズン白鴎大学に変化が起きます。
荒谷選手を白鴎大学に誘った、落合嘉郎ヘッドコーチが白鴎大学をやめたのです。
落合ヘッドコーチの後任は、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)でも活躍した網野友雄さん。
網野友雄
- 元バスケットボール選手、現白鴎大学講師兼バスケットボール部ヘッドコーチ
- リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)2011‐15在籍
- 日本代表としても長期にわたり活躍
大学の1年目、2年目のころの荒谷選手はちょっと子供っぽいところもあったようです。
就任した当初の網野ヘッドコーチは1年目を終えた荒谷選手の印象をこう語っていました。
元の白鴎大学は細かくたくさんの戦術を使い、チームで戦うチームでした。
網野ヘッドコーチはまったく逆の選手の自主性に任せるバスケを用いました。
荒谷選手たちはこれまでと違う戦い方に戸惑います。
監督への反発も少なからずあったようです。
その影響もあってか、2018年はインカレに出場はするものの、結果が出せませんでした。
そして、荒谷選手の3年目の2019年。
衝突しながらも網野ヘッドコーチと選手たちのチーム作りは進んでいきます。
関東大学バスケの春の大会、スプリングトーナメントでその結果が出ます。
荒谷選手選手もスプリングトーナメントでは、プレイタイムを獲得していきます。
チームとしても決勝まで勝ち進んでいきます。
決勝の相手は筑波大学で、この筑波大学戦も勝利し白鴎大学は初のタイトルを獲得します。
関東大学スプリングトーナメント 決勝戦結果 | ||||
白鴎大学 | 66 | VS | 58 | 筑波大学 |
しかしこの決勝戦で荒谷選手は膝の靱帯をけがしてしまいます。
このケガで大学3年生のシーズンは最後のトーナメントまで、試合に出場できませんでした。
ケガを乗り越え大学最後のシーズン
4年生になり迎えた2020年のシーズン。
前シーズンは優勝したスプリングトーナメントは負傷で最後までコートに立てず、その前のシーズンを合わせても惜しいところまで行っても白鴎大は優勝することはできていませんでした。
荒谷選手は今シーズンインカレでの優勝を目標に掲げます。
白鴎大学は関東大学リーグで4位になりインカレに進みます。
迎えたインカレ2020トーナメントで、白鴎大学は勝ち進んでいきます。
準決勝は大学随一のスター集団である東海大学戦です。
この試合で荒谷選手は21得点をたたき出しますが、東海大学に83‐62で敗れてしまいます。
この大会、この時の活躍もあり荒谷選手は大会の優秀選手に選ばれます。
また、プレー面だけではなくメンタル面でもチームを引っ張っていた荒谷選手、4年生の時の荒谷選手を網野ヘッドコーチはこう語っています。
まとめ
小学校、中学校と無名の選手であった荒谷裕秀選手。高校時代に全国大会などレベルの高いバスケに触れることで、バスケが楽しくなっていく。
荒谷選手は震災を経験するも、地元出身のバスケットボール選手の志村さんに勇気をもらう。バスケ選手へのあこがれを持つようになる。
荒谷選手は無名の選手であった高校時代から、白鴎大に入学しプレー、メンタルともに成長。優秀選手になるなど、注目を集める存在となる。
これからも進化を続けていく荒谷選手を応援していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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