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今回は宇都宮ブレックス背番号13のPG渡邉裕規選手について紹介します。
宇都宮ブレックスのなかでも、エンタメ性ならNO.1の渡邉裕規の高校進学エピソードが面白かったので、それについてお話させていただきたいと思います。
渡邉選手のプロフィール
渡邉選手のプロフィール
- 名前 渡邉 裕規
- 所属 宇都宮ブレックス #13
- 出身校 青山学院大学
- 出身地 神奈川県
- 生年月日 1988年3月22日(34歳)
- 身長(cm) 180cm
渡邉選手の経歴
出身校 世田谷学園高→青山学院大
経歴 2010-13 パナソニックトライアンズ(2013年 天皇杯 優勝)
2013~ リンク栃木ブレックス / 宇都宮ブレックス(NBL / B.LEAGUE)
渡邉選手は中学時代天狗だった?大苦戦した高校進学エピソード!
渡邉裕規選手にどの高校からも声がかからない?世田谷学園に自ら売り込み
中学時代はジュニアオールスターの神奈川代表選手にも選ばれるほどの実力であった渡邉選手。
ジュニアオールスターは県で選抜した選手で戦う大会で、各県12人しか選ばれません。
その神奈川代表だったんです。
しかし、いざ高校進学の進路を決めようとしたとき。
神奈川県代表12人に入っていた選手であったにも関わらず、渡邉選手にはどこの高校からも推薦の声がかかりませんでした。
ジュニアオールスターのメンバーに入っているからには、何高か推薦の声もかかるだろうと思っていた渡邉選手。
そんなわけで勉強もしていなかったので、渡邉選手は焦ります。
渡邉選手は当時のことをこう語っていました
そんな状況で各高校から敬遠されてしまったんですね。
中には渡邉を取ったら勝てなくなるとまで言った高校もあったようです。
これでは待っててもどこからも声がかからない状況です。
これではいかんと、渡邉選手は各高校に自ら売り込んで行きます。
中学校の先生のつてなどもお願いして、お願いしていくと、やっとのことで東京の世田谷学園から、練習に参加しても良いとの連絡が来ます。
渡邉選手、世田谷学園に練習参加するも感触は良くない
やっとのことで練習参加できることになった渡邉選手。
まだ練習参加できるだけで、推薦入学が決まったわけではありません。
しかも世田谷学園に練習参加している中学生は、渡邉選手だけではなく他の中学校からも来ているのです。
他の中学生と共に世田谷学園の練習に参加して、アピールする毎日を渡邉選手は続けていきます。
そんななか他の中学生は練習中に監督室に呼ばれる事があります。
呼ばれていた中学に渡邉選手が聞くと、監督から推薦入学が決まったことを伝えられとのことだったのです。
つまり、監督室に呼ばれる事は推薦入学が決まったこと確定の合図でした。
渡邉選手はアピールを続けていきますが、監督室に呼ばれることがありません。
アピールしても、アピールしても監督室に呼ばれることがないまま毎日が過ぎていきます。
段々と高校の一般入試が近づいていく中、渡邉選手の自宅に一本の電話が入ります。
「入れることになったから」
世田谷学園の先生からの電話でした。
なんとか、世田谷学園の推薦入学が決まったのでした。
渡邉選手が入学できたのは、辞退者の繰り上がり。その辞退者は?
渡邉選手がインタビューで語っています。
先生からの電話は
「入れることになったから」
という言葉で、来てほしいというニュアンスではなかった。
おそらく推薦入学が決まったが、辞退が出てその枠が空いて入れたという感じだったと。
ギリギリでの入学だったようです。
その辞退した選手が、現在富山グラウジーズに所属している小野龍猛選手だったのではないかと渡邉選手は語っています。
小野選手は千葉ジェッツや信州ブレイブウォリアーズで活躍した選手です。
日本代表にも選出されたことがある名プレイヤーです。
小野選手が辞退していなかったら、今の渡邉選手はなかったかもしれません。
また渡邉選手はこの高校進学から苦労した経験から、今のような献身的なプレーやコミュニケーションを積極的にとるスタイルができ始めたのかもしれないですね。
まとめ
渡邉選手は高校入学をするとき、大変苦労して入学を決めました。
今や渡邉選手は宇都宮ブレックスになくてはならない存在になっています。
この高校入学がなかったら、宇都宮ブレックスも違ったチームになってしまっていたかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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